ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2004年8月13日金曜日

忘却の旋律 #19 pt.7 東京駅 二十世紀戦争

  • 忘却 DVD 1e / 忘却 DVD 2a
  • TBS Anime Festa 2004 / ゆめりあ DVD 5

 「大人たちの欲望を打ち砕け」 from DVD 2 CM だったり,「大人にしてやって」だとか.そういう話なのか.いや〜ん.ということで意欲減退中.

 モンスターの存在理由という,この怒濤のような説明は終わりが近いということなんだろうな〜.

 今回のボッカと小夜子は完全にボケ役.

  • 総理拉致の結果,まほろばの当たりを付けたチェンタウロ三人衆,さっそく回収に向かう.
  • 遠音相変わらず周回中.
  • 総理の回顧.
    • この眼鏡っこが「愛」? この期に及んで,またアルファベット 1 文字キャラクタ.しかも,モンスター直視して石化.
    • 「弓と矢」は二十世紀戦争以前から,ある種の意味付けがなされているようだ.
  • スカイブルーを釣り上げ中のココにちょっかい出して頬を張られた名誉駅長安藤ヨウスイこと Electric Sheep はダムガ群を発動.
  • ココ,ダムガ群の電撃攻撃にヤラれダウン.ピ〜ンチ.
  • チャイルドどらごん, Engin II を改名.「コドモ大トカゲ」(笑).
  • チェンタウロ・アタック.三人 (三体) だけで可能なら,ココが来る前にやりゃエエのに.
  • 総理の娘の誘拐事情とココの それ は同一.もしかしてココは総理の娘?
  • 総理,拉致監禁から逃亡.が,ソロに操られた SS に撃たれた?

 とまぁこんな感じなのだが,問題は A パートで明らかになったモンスターに関するあれこれ.その前に忘れんうちに追記.

干支追加

 干支アサインに追加.

(代) チャイルドどらごん (?)
(代) Electric Sheep (安藤ヨウスイ)
たまころがしヘカテー?
(代) ディスカウントうりぼう (?)

モンスターへの意味賦与

  • ソロ / モンスター・キングはもともとメロスの戦士であった.見返してみたら,以前にそれらしいこと 書いてた.へぇ〜,当たることもあるんかぃ.

    ソロくんの歌,ようやく歌詞が聞き取れたけど,これ何.『嘆きの歌』ですか? 骨の歌? おまえはグリムか.君は死んだ (あるいは剥奪された) メロスの戦士なのか?

    当時の首領であったモンスター・キング S II 世を倒したのも彼.
  • メロスの戦士であった頃のソロのキメ台詞は,ボッカと同じ「ふら〜〜〜〜っしゅ!」.ただし発音は遠音ちっくに「フラッシュ」.

 総理「人間は彼らモンスターには絶対に勝てない」,ソロ「勝てない訳じゃない.勝ってはいけなかったんだ.あの二十世紀戦争は」に続く,ソロ,モンスター・キング S II 世,忘却の旋律のダイアログを採録.

 ソロ「なぜモンスターたちは人々を石に変える?」  S II「彼らはもともと石だったんだ.ただ世界がそれに気付いただけ」  ソロ「なぜモンスターなんて生まれた? やつらはいったい何処から来た?」  S II「何処から来たのでもない.最初からいたんだ.石が元々石でしかなかったように,彼らは最初からこの星にいた.そして人間が人間社会を作ったとき,モンスターと分類されたに過ぎない」   (鐘が鳴って芝居開始.『ペレアスとメリザンド』?)  旋律「始めてしまった! 世界中のモンスターたちが動き出した (モノローグのテーマ).もう抑えられない.あなたがモンスター・キングを殺したので,モンスターが暴れ出した.もうこれまでの世界は終わり,戦争が始まる.あなたが始めた」  旋律「モンスターには意志がないの.放っておけば,ただ人間を襲う.犠牲が増えるばかり」  ソロ「どうすればいい?」  旋律「(その鍵でわたしを) 解放すれば,すべてモンスターを滅ぼせる.でも,モンスターを全て滅ぼせば世界は皆彼ら (猿人 / 閹人) のようになってしまう.彼らはこの舞台を理解できない.喜ばない.拍手もしない.それが嫌なら,もう一度モンスターたちを支配するしかない」 (チーフ・ヴイが言ってた のはこのことですな)

 というわけでソロはモンスター・キング S III 世となってモンスターたちを統括、抑えている,と.しかしながら,「戦争が終わっても,結局君は失われたままだ」〜「そして人々はあのメロディを忘れて行った」.

 ちなみに,この称号の一部である「S」は「es」であるに一票.フロイトの「無意識的な本能的欲動」であると同時に「変ホ (E♭)」音でもある.ベートーヴェンなら変ホ長調は英雄的な音階だ.

 こんな感じである.で,モンスターとは何か? 真っ先に思い付いたのが excès あるいは différance,つまり,ユクスキュル的な環境世界,またはライプニッツ的なピュシスから「外れている」こと,ないしは「拒まれている」こと,だ*1.モランが人間を「ホモ・デメンス」と称したときの,その「錯乱せる」ものを「モンスター」として外在化させている,というわけ.以下, 昔の引用 で申し訳ない.この場合「忘却の旋律」の役割りは,全員一致でただ一度殺される中心点になる.二度目以降に殺されるのは彼女を殺害したという,全員に共有される記憶だ.彼女を「解放」するということは,その「荒ぶる力」が解放されるということである.

 共存のエコシステムは「矛盾撞着した無限に多様な意味の中で非-意味が勝ち誇っている」カオスと変貌し果てる.はみ出してしまったものは,そこにある秩序を確立しなければならないが,それは恣意的・差異的・共時的な象徴秩序としてしか成立しない.だが象徴秩序はカオスのすべてを飲み込むには至らない.平然とした顔付きで綱渡りを繰り返す象徴秩序が,ふとしたきっかけで揺らぎ出す.揺らぎ出したプロセスはフィードバックを起こしつつ無限に繰り返そうとする.この闘争状態に恣意的に選択された中立的な第三者,闘争平面の外にあってこれを超越する絶対者を「最も高貴なる全能の《主》」として中心に立て,次の瞬間に満場一致でこれをいけにえとして殺害する.

 もっと卑近な例を取れば,スタッフにとっての「孤独な群衆」が持つ「欲望」と見ることもできるだろうけど,どうせ外れるんなら大いに外してみよう,ということで.

主題か規則か

 この作品には『フリクリ』のときに ちょと書いた ように,「『魔笛』〜『魔弾の射手』の歌芝居や寓意劇というスタイル」つまりは児童文学的な移動の物語,「ボッカは成長しました」というのが第一主題,ボッカと小夜子に代表されるメロドラマが第二主題と見てるんだが,例のモンスターの一件が主題なのかどうかが,いささか楽しみ.これが世界設定であるのなら,主題ではなく展開のための規則ということになり,いかにこいつに則って如何に上手に展開してみせるか,障害物や落とし穴を避けて,如何にして美しい旋律を紡ぎ出すかという,ある意味アクロバティックな展開 (ad lib) を聴かせてくれるか,というのが主眼になる.どうせならブルックナーの向こうを張って第三主題にして欲しいけど……

*1: これが『ナウシカア』時代の産物で,かなり古臭いことは百も承知,二百も合点.よってツッコミ不要.

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